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日向薬師の大太鼓
むかし、善波峠のある善波部落にそりゃあまあ、たまげるくらいの大楠がでーんと生えておった。遙かから眺めるともりのようで、三里四方は、日陰になっていたというたいした大楠だった。
ところが百姓衆は、田や畑に日がささんもんで、米も麦も野菜も育たず困り切っておった。で、なんべんも寄り合いをもって、「あ、あの大楠をなんとかせにゃわしらは生きていけんわい。一年中夜みてえでねえか」「んだども、あの大楠を切ったら祟りがあるんでねえか。どう見たってただの木じゃねえ。木の神様が宿っているに違いねえ」と、なって。いつも話はまとまらんかったそうな。大暴風がきたら大楠が村を守ってくれると思ったら、枝という枝が、わっさ、わっさと暴れるもんで、その音で眠れんかった。そして、つむじ風がゴ−ッ、ゴーッとまきおこった。「なんとしても大楠を切らにゃ村にはおれんわい。だども、祟りがな・・・」村の衆はまた、相談ぶっとった。
「なら、こうしたらどうじゃ。切るには切るが、その木で大太鼓をつくって日向薬師様に奉納する。ほして、余った木は、京都の銀閣寺の天井の一枚板に使う。それでも余るから村じゅうの橋に使う。これなら木の神様だって目をつぶってくれるべ」
「ほー、そりゃあ、良い考えだ。日向薬師の大太鼓のお。そうするべや」
と、なって、村じゅう総出でズイーコン、ズーコンと鋸をひいて、七十五日もかかって切ったそうな。その倒れるときの音は、まるで大地震のようだった。
だが、パッーっと村じゅうが明るくなり、村の衆はお天とうさまを見て、ケブケブ、ケブケブとまぶしがって目をこすっておった。
そして、日本一という大太鼓が出来た。直径四尺八寸(一メートル六十)、周囲一寸五尺(四メートル五十)、長さ四尺五寸(一メートル五十)という太鼓だった。村の衆は、それを牛車に積んで日向薬師に奉納した。
「さあ、これで米がざくざくとれるぞ」村の衆は、鍬を空高く振り上げておった。大楠を切ったあとを畑にしたら、なんと栗が8斗もとれたそうな。
ところがだ。日向薬師で朝と晩に、ドーン、ドーン、ドーン、と、太鼓をたたいて時を知らせてくれるのだが、その音のすごいこと、村の衆は、ドーンと来るたびに耳をしっかりと押さえて、二尺ほども飛び上がっておった。
村の中だけならまだいいわい。太鼓の豪音は、オドロ、オドロと、野を越え山を越えて、なんと須賀(今の平塚市)の漁師町を越え、相模の海に消えていった。これにたまげたのは、海の魚どもで、みんな沖合へ逃げていってしまった。漁師は不漁続きでしょげておった。
「どうも、あの音のせいじゃ。あいつが鳴り出してからさっぱり魚が捕れなくなった」
「雷とも違うし、あの音はなんだべ?しかも朝と晩のきまった時にだよ」
「丹沢山の方から響いてくるな。ひとつその正体を確かめてみるべ」と、なって須賀の漁師達は善波部落に押し掛けて来た。村のもんから太鼓のことを聞いて、「なに?日向薬師の太鼓じゃと?いや、おっそろしい音を出す太鼓もあったもんだ。このままにしてはおけん。おらたちは、飯の食いあげじゃ」と、須賀の漁師は、日向薬師へ押し掛け、大太鼓の皮をぶち破ってしまったそうな。そんなんでな、その太鼓は、今も銅だけになってならん太鼓になってしまったそうな。
善波川にかけられた坪の内のカネツク面橋(伊勢原方面では、般若面橋と呼んだ)は、あの大楠でつくった橋のうち最後まで残った橋だが、昭和の初めにコンクリートの橋にかけ直されてしまった。
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